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私は大阪の出身ですが,大阪を離れてもう14年がたちました.他の地方にいると,全国放送のテレビに映る「大阪」は,道頓堀や通天閣などの歓楽街の風景や「派手なおばちゃん」ばかりなのに気づきます.もちろんそれも大阪の文化ではありますが,それらばかりに偏った見方には,大阪出身者としては大変不本意なものがあります. 上方の文化の本質は,「高度な洗練」を表す「粋(すい)」という言葉に象徴されるものです.同様の意味の言葉に,主に江戸でおこった「粋(いき)」があります.しかし,「いき」は「意気」から来ているといわれるように,どこか「気合」が入っているように感じられるのに対して,「すい」は「粋人(すいじん)」という人物像から想像されるように,肩に力を入れていなくても自然に醸し出される洗練,という感じがします. 先日,私の好きな,大阪の「粋」を思わせる風景である大阪の中心・中之島の建物群[Mapionの地図]の写真を撮ってきました.ごらんいただければ幸いです. ※写真をクリックすると別ウィンドウで拡大します. 日本銀行大阪支店です.この建物は,元は1903年に建てられたものですが,その後,1982年に,壁と屋根だけを残して中身をそっくり作り変えるという,驚くべき工事が行なわれています. 御堂筋をはさんで日銀の向かい側にある,大阪市役所です.かつては日銀同様の重厚な建物だったのですが,1985年に現在の建物に建て替えられました.旧庁舎を施工した錢高組のサイトに,旧庁舎の写真が出ています.旧庁舎の入口には「大阪市役所」ではなく「大阪市廰」と書かれた額が掲げられており,私も子供のころは「市庁」とよんでいました. 私がこどもの頃,市役所建て替えの話が出たときに保存運動が起こり,市の広報紙「市政だより」にいくつかの案が提示されたことがあります.その中には,旧庁舎の上部の塔だけを新しい庁舎の上に載せる,という案もありました. この塔には,青少年の健全な成長を祈る「みおつくしの鐘」が設置されていました.鐘は現在も建物の屋上に設置されており,成人の日に新成人によって鳴らされます. 市役所の東側にある,大阪府立中之島図書館です.1904年に建てられたもので,入口の上には「大阪図書館」と書かれています.こちらの写真に,建物の説明があります.また,「建築マップ」のこちらのページに,建物についての説明が出ています. 私がこどものころには児童書室もあって,よく通っていました.そこで読んだ本で,「200年後の世界」という本が記憶に残っています.内容は,今考えると「共産主義社会が完成された世界」を書いた本でした.ソ連の本の翻訳だったのでしょうか.
現在は,児童書室は東大阪市に新たに作られた大阪府立中央図書館に移転しています. さらに東側にある,大阪城とならぶ「大阪の象徴」,大阪市中央公会堂です.こちらの写真に,説明板が写っています. 中央公会堂の建設資金を大阪市に寄付し,事業に失敗して公会堂の完成を見ずに自殺してしまった岩本栄之助氏の話は,大阪では,郷土の歴史として小学校で教えられています.くわしくは「甦った大阪市中央公会堂」(朝日放送「歴史街道」)をごらんください. なお,私が博士の学位を得たときの,大阪大学学位授与式は,この中央公会堂で行なわれました. 一連の建物を東側から見たものです.左の写真で,工事現場の向こう側にあるのは大阪市立東洋陶磁美術館です.右の写真のように,他の歴史的建造物と調和するように建てられており,また展示品を自然光で鑑賞できるような工夫がされています. 左の写真に見える,川沿いのレンガの壁は,工事中の安全確保と景観保護のため,臨時に設置されているものです.この壁は,レンガ模様を貼ってあるのではなく,本物のレンガがコンクリートの壁に埋め込まれています.いかに景観保護に気を使っているかがわかります.
中央公会堂の前で行なわれている工事は,京阪電鉄中之島線の地下駅の工事です.この駅の名前は「新北浜駅(仮称)」とされていますが,私としてはぜひとも「中央公会堂駅」にしてもらいたいと思っています. 工事現場では,地下34メートルでの工事のようすが見られるようになっています.この日は日曜日だったので工事は行なわれていませんでした. 休日の中之島には,絵を描いている人が必ずいます.中之島こそは「大阪を代表する景観」なのです. 参考リンク
(2006年5月掲載,2007年3月追記) |