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インドネシア
独立記念日
(2008. 8)
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2005年より,毎年夏に,スラバヤ工科大学との共同研究のために,インドネシア・スラバヤを訪れています.今年も,先日4回目の訪問をしてきました.

8月はじめに訪れると,国旗と同じ赤白の布で,街中が飾り付けられています.インドネシアの独立記念日が,8月17日だからです.太平洋戦争開戦直後より,オランダに代わってインドネシアを統治していた日本は,1945年8月15日に降伏を宣言し,その2日後に,インドネシアは独立を宣言しました.

しかし,オランダと,それを支援するイギリスは,再植民地化を狙って再びインドネシアにやってきました.そして,11月10日に,インドネシア独立戦争の最初の大きな戦いが,スラバヤで起こりました.

このことを記念して,スラバヤは「英雄の町」と呼ばれています.また,スラバヤ工科大学は,正式名称を「11月10日工科大学 (Institut Tekinologi Sepuluh Nopember)」といいます.

今回の写真は,独立戦争に関する展示を行っている,スラバヤの「11月10日博物館」のものです.ただ,残念ながら,その日は博物館はすでに閉まっていて入館できなかったので,まわりにあるモニュメント等をご紹介します.

なお,"Surabaya Tourism"というサイトの"The Heroes Monument"のページに,博物館や「英雄モニュメント(Tugu Pahlawan)」の説明があります(英語).

※写真をクリックすると,別ウィンドウで大きな写真を表示します.今回の写真は,松下製携帯電話P905iで撮影したものです.

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博物館の敷地です.この敷地には,日本時代には憲兵隊本部として使われていた建物があったそうで,柱の一部が残されています.博物館は,敷地の地下につくられています.

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柱の前にある,独立宣言を行うスカルノ大統領とハッタ副大統領の像です.

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敷地の中央にある,英雄モニュメントの底部です.全体の写真は,"Surabaya Tourism"のこちらのページにあります.上の写真で,その大きさがわかっていただけると思います.また,スラバヤ工科大学の学章にも,このモニュメントがデザインされています.

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像の両側には,インドネシアの独立に至る過程が,レリーフで描かれています.左の写真は,日本占領時代を描いたもので,右の説明板には,次のように書いてあります.

日本占領時代
・強制労働/スラバヤの労務者(訳注:レリーフの左上)
・若者の訓練(左下)
・物資や食糧の徴発(右,日本軍に物資を供出する人の行列の横に,餓えて倒れている人がいる)
・Kidunganの中でのCak Durasimの役割(中)

最後の行は何かというと,kidunganとはジャワ語の「詩吟」で,Cak Durasimという歌手が,日本を批判する歌を歌ったことを示しています. レリーフの真中あたりにいる人がそれで,吹き出しの歌詞は,"Pegupon omahe doro, melok nipon tambah soro"と書かれています.

ジャカルタ日本人学校のサイトにある,「JJS国際ニュース No. 20」の記事(ページの中程)によると,この歌詞は,「プグポンは鳩の家,日本に従い苦労が増える」という意味だそうです. スラバヤ工科大の共同研究者のAgus Zainal Arifinさんによると,前半はとくに意味はなく,本当に言いたい内容である後半と韻を踏む形になっているのだそうです.日本の憲兵隊は,この歌を歌った人を次々に逮捕しました.そのため,ずっと後の1970年代になっても,子供時代のAgusさんがこの歌を歌っていて,叔母さんに叱られたそうです.

"kempetai"という言葉は,説明板にあった"romusya"という言葉とともに,現代のインドネシア語にも残っています.Agusさんのおばあちゃんは,今でも「そんなことを言うと,kempetaiに連れて行かれるよ」と言うそうです.そういえば,私の祖母も,1990年に私が初めての海外旅行でモスクワに行く時,「ソ連は敵やから行ったらいかん」と言っていました.こういう記憶は,なかなか消えないものです.

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独立宣言後,オランダ・イギリス連合軍がやってきたときのようすです.左上は,「連合軍に武器を引き渡さない者は射殺される」と書いたビラで,右上は,そのような命令に従う必要はない,とラジオで演説しているようすです.下は高架橋下の戦いで,この高架橋は,博物館のすぐ近くに今でもあります.

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スラバヤの人々は,竹槍で戦ったといわれています.町の中心には,大きな竹槍のモニュメントがあります(左).ホテルのロビーの飾り付けも,独立記念日を祝うため,竹槍をかたどったものになっていました(右).

参考リンク

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