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2009年7月22日には,日本各地で日食が観測されました.残念ながら,天候が悪くて観測できなかった地方が多かったようですが,広島では,薄曇りながらも太陽が欠けてゆくようすが観測できました.午前11時には,直径の86%まで太陽が欠け,あたりが薄暗くなりました. 今年は,ガリレオが望遠鏡による天体観測を行ってから400年になるのを記念する「世界天文年」だそうです.また,アポロ11号による初めての月旅行が行われてから,今年でちょうど40年になります.そのとき私は幼稚園児で,月からのテレビ中継が行われた7月21日は,人生で初めての「夏休み」の初日でした.月旅行のことはよくわからず,家の庭で遊んでいて,家族に「テレビを見ないの?」と声をかけられたように記憶しています. 今回は,これらのことにちなんで,7月22日に撮影した日食の写真と,1990年9,10月にソ連時代末期のモスクワに短期留学したときに撮影した,ソ連の宇宙開発についての写真をご紹介します. 2009年7月22日の日食欠けてゆく太陽のようすです.左から,10時18分,10時43分,さらに,ほぼ最大食になった10時59分のものです.11時以降は,雲が空一面に広がってしまい,観測できませんでした. これらの写真は,キヤノンEOS KISS X2と75-300mmの望遠レンズを使って撮影しました.特別なフィルタは用いず,太陽がうまく薄い雲に隠れたところを狙って撮影しました. 今回の日食は,広島の平和公園で観測しました.この写真は,最大食のときの,広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)のまわりのようすです. 日食の写真に一緒に写っている木の葉は,平和公園にたくさん植えられているクスノキのものです.クスノキは,被爆後の焼け跡で最初に芽を出した木といわれており,広島市の木に指定されています. 日食のときは,ピンホールカメラの原理で,木漏れ日が欠けた太陽の形になるそうです.今回その写真を撮れればと思っていましたが,残念ながら雲で光が散乱されてしまっていたため,写せませんでした. 上の写真は,同じ現象を再現するため,プリペイドカードに開いた穴を使って,天井の照明(右)の形を写しだしたものです.子供の時,丸めた指の隙間でこの現象が起きるのに気づいて,不思議に思ったのを覚えています. 宇宙開発とソ連の栄光モスクワの宇宙飛行士記念博物館(Мемориальный музей космонавтики)です.私と同年代以上の方は,大阪万博のソ連館*)を思い出されるのではないでしょうか.中央の写真は,「宇宙開発の父」ツィオルコフスキーの像です.右の写真で宇宙服と並んでいるのは,当時25歳の私**)です. *) ご存じない方は,「懐かしの大阪万博」というサイトのこちらのページをどうぞ. 宇宙飛行士記念博物館は,写真のモニュメントは現在もそのままですが,展示館は新しく作り直されて大幅に拡張されているそうです.「モスクワ駐在日記」というブログの「宇宙飛行士の日」という記事に,写真と解説が出ています. 宇宙飛行士記念博物館は,モスクワ北東部のВДНХ(Выставка Достижений Народного Хозяйства=国民経済成果展示会)という常設博覧会場のそばにありました.左はВДНХの入場門,右は会場の中央にある「諸国民の友好(Дружба народов)」という名の噴水です.ヴェルサイユ宮殿のような豪華な建築物で権威を示すという,ヨーロッパの王家の伝統は,共産党政権にも引き継がれていたようです. ВДНХは,ソ連崩壊後に「全ロシア・エキシビションセンター(Всероссийский Выставочный Центр, ВВЦ)」となり,現在も営業中です.入場門や噴水も健在で,上記のВВЦのウェブサイトでも,噴水や入場門の上の農民像が意匠に使われています. ВДНХの中にも「宇宙館」があり,ロケットや,ドッキングしたアポロ・ソユーズ両宇宙船が展示されていました.右の写真で,宇宙船の向こうにある壁にかけられている碑文には,「社会主義労働英雄たちに栄光あれ(Слава героям социалистического труда)」と書かれています. 左の写真は,モスクワのガガーリン広場にそびえる,ガガーリン像です.世界で初めて有人宇宙飛行を行ったガガーリンは,ソ連時代もソ連崩壊後も常に英雄であり,もちろん,現在もガガーリン像は健在です*).右の写真は,宇宙飛行士記念博物館の前の売店で買った,ガガーリンを題材にしたカレンダーです.ガガーリンの写真の左には,「1961年4月12日 人類の宇宙への初めての飛行」と書いてあります. *) 現在のガガーリン広場の写真が,「ロシア歴史紀行アルバム」というサイトの「ガガーリン広場」のページにあります. この短期留学の帰りの飛行機で一緒になった,イルクーツクのオーケストラの方が,「ソ連には,もはやアートとコスモスしかない」と嘆いていたのを思い出します. 参考リンクこのモスクワ短期留学では,私はソ連科学アカデミー・情報伝達問題研究所のディジタル光学研究室で研究をしていました.ここは,惑星探査機ヴェネラ(金星)による,世界で初めての金星の地上画像をコンピュータ処理した研究室です.このことに関する記事・写真は,私の私的サイトにあります「モスクワ・1990」の「栄光のソ連科学アカデミー」でご紹介しています. なお,1990年の写真は,ミノルタSR-T101+ロッコール50mmレンズ+フジカラーネガフィルムで撮影したものを,昨年写真店でCD-Rに入れてもらったものです.だいぶ色が褪せていたので,色調を調整してあります. |