教養ゼミ2002(総合科学部・浅野担当)
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7月29日 発表者:浅野 晃
もしも,明治維新後に大阪が首都になっていたら

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明治維新後に,大阪を首都にする案があった.財務省造幣局が大阪にあるのはその名残でもある.はたして,本当に首都を大阪(あるいは近畿のどこか)にしていたら,どうなっていただろうか.
 
背景知識
現在に通じる大阪は,大阪の陣で大阪一帯が焼けてしまったあと,徳川氏が伏見の商人を移住させて町作りをしたことにはじまる.このとき,大阪は幕府直轄地となり,武士は必要最小限の役人しか置かなかったため,江戸後期には人口40万人に武士はわずか500人という,ほとんど武士がいない町になっていた.これが,権力に距離を置く姿勢など,現在に通じる大阪の気質を作っている.
考察1:現在のような首都一極集中は進むか?

近畿地方には,関東ほどの広い平野はなく,現在の関東地方ほどの人口を住まわせることはできない.それに,東京建設の際は,大名屋敷を接収して跡地に国の機関を建てることができたが,大阪や京都にはそのように利用できる土地はなかった.また,もともと大阪・京都・奈良・(維新後の)神戸など,いくつもの都市が並び立つ多極的な土地である.→その結果,現在のような強力な中央集権体制は生まれにくかったのではないだろうか?

聴衆の意見:中央集権制と地方分権制は,どちらがよいか?
考察2:江戸・大阪の2大都市制は成立するか?

江戸時代,江戸が大消費地だったのは,武士がたくさん江戸に住んでいたから(武士は生産せず,消費するだけである).維新により武士がいなくなり,新政府も首都を江戸におかなかったら,江戸の都市の規模はずっと小さくなる.→維新後,広い土地を利用して生産地となり,その後大工業地帯となっていったのでは.(そうすると,江戸のほうが力をつけて,結局首都も江戸に移ったかもしれないが)

参考文献 

発表者の感想

 私の教養ゼミは今回で終わりです.教養ゼミは交代で担当する科目のため,何年かに1回しか担当しません.私は今回が初めての担当で,いろいろ考えた結果今回の企画を考えました.試行錯誤しながら進めてきましたので,至らないところも多々あったと思いますが,皆さん面白い話を用意していただいて,楽しく進められました.ただ,私にとっては,当日まで発表者が何を発表するのかわからないのに,その場で気のきいたコメントをつけないといけないわけですから,自分の教養を試されているようで,この時間はある意味「怖い」時間でした.
 私がみなさんに伝えたかったことは,ゼミのときにも言ったように「自分で自由に考える」ことです.知識をもっているだけでなく,その知識を使って自由に(しがらみなく)物を考えることができる能力が,真の教養です.
 4ヶ月間,ありがとうございました.みなさんと出会えて本当によかったと思います.チューターの担当は,これからも,卒業研究の配属まで続きます.卒業までよろしくお願いします.