教養ゼミ2002(総合科学部・浅野担当)
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7月29日 発表者:浅野 晃
もしも,明治維新後に大阪が首都になっていたら
近畿地方には,関東ほどの広い平野はなく,現在の関東地方ほどの人口を住まわせることはできない.それに,東京建設の際は,大名屋敷を接収して跡地に国の機関を建てることができたが,大阪や京都にはそのように利用できる土地はなかった.また,もともと大阪・京都・奈良・(維新後の)神戸など,いくつもの都市が並び立つ多極的な土地である.→その結果,現在のような強力な中央集権体制は生まれにくかったのではないだろうか?
江戸時代,江戸が大消費地だったのは,武士がたくさん江戸に住んでいたから(武士は生産せず,消費するだけである).維新により武士がいなくなり,新政府も首都を江戸におかなかったら,江戸の都市の規模はずっと小さくなる.→維新後,広い土地を利用して生産地となり,その後大工業地帯となっていったのでは.(そうすると,江戸のほうが力をつけて,結局首都も江戸に移ったかもしれないが)
発表者の感想