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2004年4月に,広島市の旧市内に引っ越しました.広島市は,太田川の河口の三角州の上にひろがる町です.三角州の中では高低差はほとんどないので,広島市内の川では,瀬戸内海の潮の満ち引きによって水位が大きく上下します.その水位の差は,最大4メートルにもなります.昔は,満ち潮のときに上流に船を押し上げ,引き潮のときに下流に下るという方法で,1日2往復の水運が行われていたそうです. このページでは,広島市内の川の水位が大きく変化するようすを,2004年7月はじめの大潮の時に撮影した写真とともにご紹介します.また,8月6日の原爆忌に行われる灯籠流しのようすもご紹介します. ※写真をクリックすると別ウィンドウで拡大します. 天満川自宅近くの天満川で,河口から3.8kmの地点から下流側の新観音橋(手前)・観音橋(向こう側)の方向を撮影しました.満潮の時には,対岸の堤防の上端ぎりぎりまで水位が上がっており,土のうを積んで堤防をかさ上げしているのが見えます. 干潮時には川幅が半分になっており,観音橋の下は完全に底が見えています.この写真を撮る直前には,潮干狩りをしている人もいました. 左岸側の堤防では遊歩道を整備中ですが,こちらも満潮時には足下まで水が来ています. 同じ場所から上流側の観船橋(みふねばし)を撮影しました.こちらも干潮時には中洲が現れています. 堤防の遊歩道は観船橋の下を通るようになっていますが,水位がもっとも高いときには水没してしまいます. なお,上の写真の堤防は,2004年〜2005年の冬の間に,大幅にかさ上げする工事が行われ,遊歩道も整備されました.「春」のページをごらんください. 元安川と原爆ドーム,原爆忌の灯籠流し原爆ドームを元安川の下流側から撮影しました.河口から5.8kmの地点です.原爆ドームの背景には広島市民球場の照明塔も見えます. 原爆ドームを上流側の相生橋の上から撮影しました.川に降りる石段を「雁木」といい,かつては船に乗り降りするために使われていたものです.広島市内の川には雁木がたくさんあり,これを再び水上交通に利用する計画も進められています[1]. 原爆ドームの前から相生橋を撮影しました.相生橋は,珍しいT字形の橋です.干潮の写真で,路面電車の走っている部分が東西方向(T字の横棒),観光バスが止まっている部分が南北方向(T字の縦棒)です.原爆投下の際は,このT字の橋が目標となったといわれています(現在の橋は1983年に架け替えられたものです). 上の写真の少し南側(上の写真で左側)です.この一帯が平和記念公園となっています.この写真に写っている雁木は,広島市内でもっとも大きいものです. 原爆ドーム,相生橋,大雁木を下流側の元安橋から写したものです. 遊覧船の船着き場です.水位がもっとも低くなったときには,浮き桟橋が川底についてしまいます. 遊覧船は,水位が低いときでも航行できるようになっています. 満潮時には,飼い犬を泳がせている人もいました. 8月6日の原爆忌には,元安橋近辺で灯籠流しが行われます.灯籠は,被爆の際に水を求めて川で亡くなった人の魂を表し,平和への願いを書いて流されます.流された灯籠の一部は,魂が帰ってくるかのように,上げ潮にのって戻ってくるそうです. 水鳥干潮になると,水鳥がやってきます.左は相生橋の下,右は天満川で撮影したものです. 参考リンク[1] ひろしま都心のあした・雁木タクシー(中国新聞2004年5月17日). (2004年7月掲載) |