教養ゼミ2002(総合科学部・浅野担当)
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5月20日 発表者:縄 裕次郎
もしも“名前”がなくなったら?

仮定
聖書の中でバベルの塔が崩れ、人々のしゃべる言葉が神によっていろいろな言語に変えられたように、何かの力によって、突然、人の頭の中から“名前”という概念が消える。つまり、例えば、人は人という種で呼ぶしかなく、人を呼ぶとき、一人称・二人称・三人称で呼ぶしかなくなる。(固有名詞が消滅する。)
考察1 〜アイデンティティの崩壊〜
〔持論〕名前というのは、個々が自身を認識し、理解するための方法の最たるものと考えられる。例えば、漫画などの中において、記憶喪失になった人がよく、「ここはどこ?わたしはだれ?」という問いを発する。しかし、この彼(彼女)はこの時点で自分がこの世に存在するということはわかっているはずである。つまり、この「わたしは誰?」という問いは、“名前”がわからないことにより、自分が誰であるかを最終的に決定付ける方法を失ってしまっていることによる、自己の喪失から欲される言葉であることがわかる。すなわち結論として、名前がないということは、他人から自分を特定できないのと同じように、自分が自分を特定できない事態に陥り、結果、人は主体性を欠いた、人格になるであろう。
〔反論・共感〕>1・反対に、自分を強く認識するようになるのではないか。私の考えとしては、人は主体性を欠いた人格になると思う。結局、この問題は、個々による“人”の心理の見方の違いであるから、これについては、自明の真理がないとしかいえないだろう。この問題については、定義より普遍の原則が先にあるという点で、数学より物理的な考察をすべきだと思う。従って、今、明確な答えを出すことはできない。
考察2 〜他者との関わりが消える!?〜
〔持論〕他人を認識する方法というのは、その人の容(かたち){特に顔}と、その人の名前を頭の中で統合して記憶するものである。(例えば、パソコンにしたって、各ファイルに名前を付けて、記録する。)人が何かを発見したらやたら名前を付けたがるのも、その性質があるからだろう。よって、名前が無くなった時、人は相手をある程度、認識できなくなり、記憶できなくなるだろう。結果として、人は会話の内容(誰と何を話したか)がわからなくなり、他者との関係は希薄になっていくに違いない。
〔反論・共感〕>2・会話自体が成り立たなくなるのではないか。極限的にはそうなるかもしれない。人間の知能レベルが下がる気がする。>3・しかし、言語が無くても、昔の人などは生活していた。また、高等動物は言語が無くても、組織を形成している。たしかに・・・。ある程度のラインまではいけるのかもしれない・・・。
発表を終えての感想
歴史的な背景を見た場合、言語からすべての事物が生まれたのではなく、すべての事物が先にあり、その後、必要に迫られ言語ができたという点で、名前のない世界が果たして存在しうるのだろうか(いや、しないだろう)という事に気づかされた。「もしも」を仮定することはなかなかむずかしいことだとわかった。なぜなら、すべてのものには「はじまり」があるのだから。
浅野の感想
仮定の説明で,「固有名詞」が消えるのか,「名詞」すべて(つまり物の名前すべて)が消えるのかがはっきりしていなくて混乱があったと思います.なお考察2についてですが,「匿名掲示板」(例えば「2ちゃんねる」)では,発言者の名前もペンネームもなく,どの発言とどの発言が同一人物なのかもわからない世界でのコミュニケーションが実際に行われています.他者との関係が希薄になっているかどうか,一度見物してみてもおもしろいでしょう(ただしハマらないように).また,グループディスカッションを取り入れるなど,運営のしかたはよかったと思います.