教養ゼミ2002(総合科学部・浅野担当)
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6月10日 発表者:加藤 宏尚
もし人の美意識がまったく反対方向に向かっていたら

設定 美のイデアが今の美とは程遠いもの、美の構成要素を何一つ持っていないもの、になったとする。

予想1 まったく非対称、もしくはぐにゃぐにゃの顔・体が美しくなる。(その容姿は人の理想の形とは全く違うものとなる。)

予想1に対する反論とそれに対するコメント これに対して、生命の弱い人は多くはならないという意見もある。確かに上で述べたたことは、とても長い長い時間がすぎて起きる可能性がでてくるもので、何も起きないと言ってしまった方が安全だと思う。ただし、人工物の外観が大きく変わる可能性は高いと思う。

浅野のコメント この問題は,「人間の美意識に生物学的な根拠があるか」,つまり「人が何かを美しいと感じるのは,生物学的に優れているからか」という問題です.その点についてもっと議論して欲しかったと思います.

予想2 論理的な学問の発達は遅れたであろう。その代わりに情念、欲望といった混沌としたものを原動力とする分野の芸術はより盛んになるだろう.

予想2に対する反論とそれに対するコメント これに対して、美意識とは関係がなく元と変わらないという意見がある。確かに言われて気がついたが,秩序があるものを本当に美と言ってしまってもいいのかどうかわからない。それに,このような学問の魅力は美だけではなく、おもしろみや利便性などがある。ただそれらの学問には確かに美があると思う。そして、その美が人をひきつけている面もある。その美がどういう美かは決められないにせよ、その美はこの世界では嫌悪感のわくものになってしまうので,元の世界よりはそれらの学問に惹かれる人は少なくなるだろう。

芸術学と芸術との違いについて ここで芸術と芸術学をゼミの時に混同してしまったのでその違いを記します。

発表者の感想 私はあるテレビ番組(bbc)からこの題材を思いつきました。その番組では、24枚ぐらいの顔写真(整った顔からぐにゃっとつぶれたような顔まで)を被験者が美しいと思う順にならべてくださいという実験(どれくらいの規模にをいて実験を行ったかは今でははっきりしません)、ほとんど全員が同じ結果になったということをのべました。僕はそんなもんかとちょっとびっくりしましたが、その事実からやはり美のイデアは存在するのだと思い題材にしました。
人にはほとんどイデアといってもいいような美の理想的な形があると思う。人が美しい物を見て「美しい」と感じるには、人が「美」というものをあらかじめしっていなければならず、不思議なことに人が持つ美しさの度合いはみなほぼおなじである。(例えば、具体的には名前がでてこないが、ある芸能人やモデルさんをみなは美しいという。)そこで、美というものは世界を離れたところで不変の存在としてあるはずであり、美のイデアというものがあるはずである。
この機会に美というものについて考えて思いました。
例えば最初にあげた予想に関連して、世の中には美しい人を異性とし好きになるという人がいますし、生徒たちの間では冗談でどっちのほうがかわいくてつきあうならどっちかといった話も昔聞いた覚えがあります。顔のよさは人の根本的な生殖機能のための性欲と関係がないのになぜこのことが異性間の間で大切になることもありうるのかは説明のしようがありません。少しでも理由になるとしたら、それは人が美を求めているからでしょうか。人が美に惹かれ、求めることはとても不思議なことのような気がします。
  
浅野の感想
現在暗黙のうちに承知している美意識を破壊しよう,という仮定なのですから,「美意識が普遍的かどうか」という点について,当たり前だと思わずに,詳しく考える必要があると思います.次のような例はどう考えるでしょうか:
大多数の人間が嫌う動物(蛇など)は,大多数の人間の美意識からみれば「おぞましい」ですが,彼らは生物として繁栄しています.さらに,蛇を好み蛇と添い寝する人間も,少数ながらいます.